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金七商店

枕崎と鰹節の歴史

一本の節には、海を渡ってきた歴史がある。

日本では、千年以上も前から、鰹(カツオ)を保存し、食べる知恵が育まれてきました。 乾かす。煮る。燻す。そして、カビの力を借りて熟成させる。 その技術は黒潮の海を越え、人から人へ、土地から土地へと受け継がれ、やがて枕崎へたどり着きます。 一本の鰹節が現在の姿になるまでの歴史を、海と人と技術からたどります。

まず、鰹節の歴史を短くたどる。

鰹節の歴史は、「保存する知恵」と「海を渡った技術」と「運ぶ力」の歴史です。

古代の保存食から、焙乾法が枕崎へ届き、産業と物流が育ち、現在の地域名を冠したGI登録へ。その流れを先に見渡します。

古代
鰹(カツオ)を乾燥・加熱して保存する文化
701年
『大宝律令』に「堅魚」などの記録
905年
『延喜式』に鰹(カツオ)加工品の記録
1674年頃
紀州で現在につながる焙乾法が始まったとされる
1707年
森弥兵衛によって製法が枕崎へ伝わったとされる
1895年
黒島流れと、その後の鰹節行商
1921年
枕崎に製氷工場が建設され、生産の形が変わる
2025年
「枕崎鰹節」がGI第168号に登録

鰹節の前に、「堅魚」があった。

現在の鰹節と同じものではありません。しかし日本では古くから、鰹(カツオ)を乾燥させたり煮たりして、長く保存する方法が考えられてきました。

701年の『大宝律令』や905年の『延喜式』には、「堅魚」「煮堅魚」「堅魚煎汁」などの記録があります。

鰹節の歴史は、魚をどう残すかから始まりました。

01

古代の海と鰹(カツオ)

02

乾燥・加熱による保存のイメージ

参考文献 — 農林水産省「にっぽん伝統食図鑑 鰹節」

食べるものから、願いを込めるものへ。

戦国時代には、保存性の高さから鰹(カツオ)の加工品が陣中食として利用されました。

「勝男武士」という当て字から縁起物として重用され、現在まで続く「縁起物としての鰹節」へつながっていきます。

腹を満たすものから、願いを託すものへ。

01

保存食と武家社会

02

縁起物としての「勝男武士」

参考文献 — 枕崎市「枕崎の鰹節」

魚が海を巡り、技術も土地を巡った。

鰹節は黒潮沿岸のさまざまな地域で、漁師や職人の移動とともに改良されてきた文化です。

農林水産省と枕崎市は、1674年頃に紀州で現在につながる製法が始まり、1707年に森弥兵衛によって枕崎へ伝わったと紹介しています。

魚が海を巡り、技術もまた、土地を巡りました。

01

紀州

1674年頃、現在につながる焙乾法。

02

土佐をはじめとする黒潮沿岸

土地ごとに技術が改良される。

03

薩摩

人と技術が海を渡る。

04

枕崎

1707年、現在につながる製法が伝わったとされる。

参考文献 — 農林水産省「にっぽん伝統食図鑑 鰹節」

1707

そして、枕崎へ。

枕崎市によれば、森弥兵衛によって煮熟・焙乾を基礎とする製法が伝えられ、この頃から現在につながる鰹節製造が始まったとされています。

ここから、枕崎の三百年が始まります。

黒潮と鰹(カツオ)、良質な水、山林、焙乾に使う薪、漁師と職人、そして薩摩藩による振興。複数の条件が、この土地の産業を育てました。

01

黒潮と鰹(カツオ)

02

良質な水

03

山林

04

樫・クヌギなどの薪

05

漁師と職人

06

薩摩藩による産業振興

参考文献 — 農林水産省「地理的表示(GI)第168号 枕崎鰹節」

産物から、産業へ。

鰹節は、造るだけでなく、運び、売るものへと変わっていきます。

1822年の『諸国鰹節番附表』には全国122カ所の産地が掲載され、鰹節は「どこで作られたか」が語られる食品になっていました。農林水産省のGI資料でも、枕崎が江戸期の番付に名を連ねたことが紹介されています。

01

諸国鰹節番附表

02

各地の鰹節産地

参考文献 — 高知市「高知市歴史散歩・土佐の鰹節」

鰹節工場は、いつも枕崎にあったわけではない。

冷蔵技術も高速な漁船もない時代。遠くの海で獲った鰹(カツオ)は、枕崎へ運ぶ間に傷んでしまいます。

船上で応急的に茹でる「沖イデ」。漁場に近く森林資源のある黒島に加工場を設ける「島イデ」。

工場を魚の近くへ運ぶ。それが当時の答えでした。

01

沖イデ

船上で応急的に鰹(カツオ)を茹でる。

02

島イデ

漁場に近い黒島に加工場を設ける。

03

枕崎と黒島の航路

参考文献 — 枕崎市「三島村(黒島)と枕崎のつながり」

1895.07.24

海の恵みと、海の厳しさ。

猛烈な台風によって大きな海難事故が発生し、枕崎では411人が犠牲となりました。

家族を失った人々の生活を支えるため、婦女子による鰹節のバラ売り行商が始まり、その範囲は鹿児島県内だけでなく、宮崎や熊本へも広がったと枕崎市は記録しています。

海は暮らしを支え、そして時に、暮らしを奪いました。

参考文献 — 枕崎市「黒島流れ」

氷が、産業の地図を変えた。

1921年、枕崎に製氷工場が建設され、鰹(カツオ)を氷で冷やしながら持ち帰れるようになりました。「島イデ」は役割を終え、加工は枕崎へ移っていきます。

その後、漁場は南へ広がり、鉄道と港が物流を支えました。

獲る。造る。運ぶ。三つの力が、枕崎を大きな産地へ変えていきました。

1921年
製氷工場が建設され、鰹(カツオ)を氷で冷やして枕崎へ運べるようになる
1925年
原耕が千代丸を建造し、台湾・フィリピン近海へ漁場を開拓
1927年
第一回南方漁場探検
1931年
南薩鉄道が枕崎まで開通
1951年
枕崎漁港が第三種漁港に指定
1969年
枕崎漁港が特定第三種漁港に指定

01

氷と鮮度保持

02

南方へ向かう漁船

03

鉄道と港の物流

参考文献 — 枕崎市「歴史年表」

保存する技術は、ここまで進んだ。

鰹(カツオ)を煮て、燻し、表面を整え、カビ付けと乾燥を重ねる。

本枯節は、魚を長く保存するために重ねられてきた知恵と技術の、現在の姿の一つです。

01

煮る — 煮熟

02

燻す — 焙乾

03

表面を整える

04

カビ付けと熟成 — 本枯節

参考文献 — 農林水産省「にっぽん伝統食図鑑 鰹節」

2025.03.18

三百年の積み重ねが、地域の名前になった。

2025年3月18日、「枕崎鰹節」は農林水産省の地理的表示(GI)保護制度に登録されました。登録番号は第168号、生産地は鹿児島県枕崎市です。

GIは、その土地だからこそ生まれた品質や歴史を持つ産品の名称を、地域の財産として保護する制度です。

三百年の歴史は、いま、次の百年へ進みます。

参考文献 — 農林水産省「地理的表示(GI)第168号 枕崎鰹節」

その歴史の中に、金七商店がある。

1955年、金七商店創業。

四代にわたり受け継いできたのは、商品だけではありません。火を見ること。魚を見ること。カビを見ること。一本一本と向き合いながら、本枯節を次の時代へ残すこと。

カビ付けを行う環境でクラシック音楽を流す「クラシック節」も、よりよい鰹節を目指し、自分たちの世代でも試し続ける姿勢から生まれました。

歴史を作ったのではなく、歴史を受け継いでいます。

01

受け継がれてきた金七商店

02

現在の工場

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四代目・瀨﨑祐介

04

カビ付けと人の手

一本の線で見る、鰹節と枕崎の歴史。

1300年にわたる保存の文化、その中にある枕崎の三百年、さらにその中で仕事を受け継ぐ金七商店。三つの時間を一本の線で振り返ります。

古代
鰹(カツオ)を乾燥・加熱して保存する文化
701年
『大宝律令』に「堅魚」など
905年
『延喜式』に鰹(カツオ)加工品
中世〜戦国
保存食・陣中食、「勝男武士」
1674年頃
紀州で現在につながる焙乾法が始まったとされる
1707年
森弥兵衛によって製法が枕崎へ伝わったとされる
江戸時代
全国各地に鰹節産地が発展
1822年
『諸国鰹節番附表』
1895年
黒島流れと鰹節行商
1921年
枕崎に製氷工場
1925年
原耕・千代丸による南方漁場開拓
1927年
第一回南方漁場探検
1931年
南薩鉄道が枕崎まで開通
1951年
枕崎漁港が第三種漁港に指定
1955年
金七商店創業
1969年
枕崎漁港が特定第三種漁港に指定
2025年
「枕崎鰹節」がGI第168号に登録

枕崎と鰹節の歴史について。

このページの主な参考資料

歴史上の年号・出来事・制度は、以下の公的資料を基に記述しています。

枕崎市
歴史年表
枕崎市
黒島流れ

三百年の先へ。

海から始まった鰹節の歴史は、いまも続いています。

造る人がいて、削る人がいて、食べる人がいる。

三百年のその先へ。私たちは、一本ずつつないでいきます。